東日本大震災 はまセン②(気仙沼市小泉浜)
『はまセン』活動開始!!
4月20日、『はまセン(気仙沼市小泉浜災害ボランティアセンター)』を立上げ、
その代表としての活動が始まりました。
始めはたった1人からのスタートでしたが、メール、ツイッター、ブログ、フェイスブックなどのインターネットツールで、徐々にボランティアが集まってくれるように…。
津波で倒された木を人の力で運ぶためにチェンソーで細かく切断。
自らもチェンソーを持って現地へ…(初めてチェンソーワークを経験しました)。
GWに入り、徐々にボランティアも増えてきました。
ビニールハウスを手作業で解体
津波で押し倒されたビニールハウス。
道路との間にある畑をつぶさないようにするためには、このハウスを「手作業」で解体しなければなりませんでした。
インパクトドライバー、ディスクグラインダーを使用して解体を進めました。
支援の輪が全国に広がりました
全国各地から、ボランティアが続々集まってくれるようになってきました。
この頃、「最高にうまくいっているボランティアセンターですね。」と評価してくださるマスコミ関係者も…。
『はまセン』敷地いっぱいにボランティアが集まってくださいました。
北海道から沖縄、遠くはサンフランシスコ、香港、インドなどからも…。
ボランティアの皆さんには毎日寄書きをお願いし、避難所に貼らせて頂きました。
ボランティアが増えてきたため、第2のテント村を設置。
様々な「得意分野」を持つボランティアが参加
高所作業を得意とするボランティアも…
消防庁レスキュー部隊のOBや現職消防署員さんが、自ら厳しい作業に…
解体業を専門としている方がリーダーとなり、解体を進めることも可能に…
重機持参で参加してくださるボランティアも…
九州からユンボ、ダンプを運んでくださった方も…
大木の処理で活躍してくださったのは造園業者さんでした
様々な分野で活躍される方が其々の持ち味を活かして活動してくださったため、過去の災害ボランティアセンターとは全く違う大きな機動力で作業を進めることができました。皆さま、本当にありがとうございました。
南三陸町へもボランティアを派遣
「震災から1ヶ月以上お風呂に入っていない」という話を聞き、南三陸町名足地区の支援も行うことになりました。
「洗濯は井戸の水を手で引っ張り上げてやってます」という話もあったため、井戸からポンプアップして洗濯・洗面ができるようにセットし、その横にお風呂を…。
この夜、1ヶ月半ぶりにお風呂に入られた方もみえました。
「生き返った気持ちがした。」
その後、名足地区の区長さんや振興会長さんから正式に支援要請を頂いたため、名足地域の瓦礫処理も行わせて頂きました。
もしかするとおばあちゃんが…
家の解体処理や瓦礫処理を進めていたら、「可能性は低いけど、もしかするとおばあちゃんがあの屋根の下にあった部屋にいたかも。」という話が…。
震災から1ヶ月以上経っていたため「せめて見つけてあげられたら…」という思いで解体作業に取り掛かりました。
「屋根の下の部屋」におばあちゃんが残っていたかもしれないという話が…。
ボランティアの皆さんも頑張って捜索、解体処理をしてくださったのですが…
おばあちゃんを見つけることはできず、涙が止まりませんでした。
気仙沼市長と
気仙沼市、菅原市長と。
「支援活動、本当にありがとうございます。」という言葉を頂きました。
子ども達の笑顔も増えてきました。
もう少しだ。頑張ろう!!
4月20日、『はまセン(気仙沼市小泉浜災害ボランティアセンター)』を立上げ、
その代表としての活動が始まりました。
始めはたった1人からのスタートでしたが、メール、ツイッター、ブログ、フェイスブックなどのインターネットツールで、徐々にボランティアが集まってくれるように…。
津波で倒された木を人の力で運ぶためにチェンソーで細かく切断。
自らもチェンソーを持って現地へ…(初めてチェンソーワークを経験しました)。
GWに入り、徐々にボランティアも増えてきました。
ビニールハウスを手作業で解体
津波で押し倒されたビニールハウス。
道路との間にある畑をつぶさないようにするためには、このハウスを「手作業」で解体しなければなりませんでした。
インパクトドライバー、ディスクグラインダーを使用して解体を進めました。
支援の輪が全国に広がりました
全国各地から、ボランティアが続々集まってくれるようになってきました。
この頃、「最高にうまくいっているボランティアセンターですね。」と評価してくださるマスコミ関係者も…。
『はまセン』敷地いっぱいにボランティアが集まってくださいました。
北海道から沖縄、遠くはサンフランシスコ、香港、インドなどからも…。
ボランティアの皆さんには毎日寄書きをお願いし、避難所に貼らせて頂きました。
ボランティアが増えてきたため、第2のテント村を設置。
様々な「得意分野」を持つボランティアが参加
高所作業を得意とするボランティアも…
消防庁レスキュー部隊のOBや現職消防署員さんが、自ら厳しい作業に…
解体業を専門としている方がリーダーとなり、解体を進めることも可能に…
重機持参で参加してくださるボランティアも…
九州からユンボ、ダンプを運んでくださった方も…
大木の処理で活躍してくださったのは造園業者さんでした
様々な分野で活躍される方が其々の持ち味を活かして活動してくださったため、過去の災害ボランティアセンターとは全く違う大きな機動力で作業を進めることができました。皆さま、本当にありがとうございました。
南三陸町へもボランティアを派遣
「震災から1ヶ月以上お風呂に入っていない」という話を聞き、南三陸町名足地区の支援も行うことになりました。
「洗濯は井戸の水を手で引っ張り上げてやってます」という話もあったため、井戸からポンプアップして洗濯・洗面ができるようにセットし、その横にお風呂を…。
この夜、1ヶ月半ぶりにお風呂に入られた方もみえました。
「生き返った気持ちがした。」
その後、名足地区の区長さんや振興会長さんから正式に支援要請を頂いたため、名足地域の瓦礫処理も行わせて頂きました。
もしかするとおばあちゃんが…
家の解体処理や瓦礫処理を進めていたら、「可能性は低いけど、もしかするとおばあちゃんがあの屋根の下にあった部屋にいたかも。」という話が…。
震災から1ヶ月以上経っていたため「せめて見つけてあげられたら…」という思いで解体作業に取り掛かりました。
「屋根の下の部屋」におばあちゃんが残っていたかもしれないという話が…。
ボランティアの皆さんも頑張って捜索、解体処理をしてくださったのですが…
おばあちゃんを見つけることはできず、涙が止まりませんでした。
気仙沼市長と
気仙沼市、菅原市長と。
「支援活動、本当にありがとうございます。」という言葉を頂きました。
子ども達の笑顔も増えてきました。
もう少しだ。頑張ろう!!