中国四川大地震(2008年5月)

中国四川大地震では9万人もの犠牲者が出ました。
多くの被災者が家を失ったため、大型テントやビニールシートの配布等を実施。
支援活動により、日本人に対する感情が変わったと思われる地域も…。
中国四川大地震(2008年5月)
中国四川大地震発生から約1週間後、被災地の調査活動へ。日本の救助隊が入った北川県に近い永安鎮では、殆どの家が全壊状態となっていました。

中国四川大地震(2008年5月)
「せめて、主人と子ども達を自分の手で葬ってやりたかった。現地は立入り禁止で、重機で埋められるのを見ているだけしかできない。」という言葉を耳にして、涙を流さずにはいられませんでした。

中国四川大地震(2008年5月)
テントでの生活は厳しい。この時期、ここに届いていた救援物資は「きゅうり」のみだった。過去の災害と同様、交通の便の良し悪しによって、支援に大きな差が生じていた。

中国四川大地震(2008年5月)
この時期、既に多くの物資が運び込まれ、支援活動が進む地域もありました。

中国四川大地震(2008年5月)
「跡形も無く」という言葉があてはまるホテルも…。

中国四川大地震(2008年5月)
被災した建物のがれきの中から、使えそうな物資を探している姿も…。

中国四川大地震(2008年5月)
永安鎮の災害対策本部。

中国四川大地震(2008年5月)
鎮長と支援内容について打合せ。「テント・医薬品・食糧が早急に欲しい。」

中国四川大地震(2008年5月)
一番の心配は、地震で「親を亡くし」「親戚を亡くし」「頼れる知人友人もいない」という「三孤(さんこ)」と呼ばれる子ども達をどうするかだとのことでした。

中国四川大地震(2008年5月)
中国各地で募金活動や物資提供の活動が始まりました。
「寄せ書き」に小さな女の子も参加。


中国四川大地震(2008年5月)
寄せ書きには「加油!!」(頑張ろう!!)という文字が多く見られました。

中国四川大地震(2008年5月)
四川省の省都、成都では追悼の行事も…。

中国四川大地震(2008年5月)
綿陽市の外交部長と支援内容について打合せ。

中国四川大地震(2008年5月)
日本のカンパで集められたお金で、「水」「医薬品」などを配布。

中国四川大地震(2008年5月)
被災程度の低かった四川省の省都、成都市で支援用の米を購入。

中国四川大地震(2008年5月)
トラックに、支援物資を積んでいる車だということを表示して出発。

中国四川大地震(2008年5月)
日本のカンパで集められてお金で、「米」を配布。

中国四川大地震(2008年5月)
お米を配布した村の皆さんと…。

中国四川大地震(2008年5月)
JPF(Japan Platform)の資金で、被災地に大型テントを配布。

中国四川大地震(2008年5月)
テントに続き、大型のビニールシートを配布。

中国四川大地震(2008年5月)
自動車が無いため、自力で運ぶ方も多かった。

中国四川大地震(2008年5月)
テント配布以前は、ボロボロのシートの下で生活していた地域も…。

中国四川大地震(2008年5月)
ビニールシートは、テント側面や家の屋根の補修、家畜舎の補修など、多方面で活用されました。

中国四川大地震(2008年5月)
「日本人は恐い人種だとずっと思っていたけど、こんなに優しいなんて…。本当にありがとう。」と言って、女性が手を合せて見送ってくれました。

中国四川大地震(2008年5月)
多くの命が奪われた中国四川大地震。
災害の爪痕が1日も早く消えますように…。
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。

コメントする

 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。