東日本大震災 はまセン①(気仙沼市小泉浜)

川上哲也HP

2011年11月15日 09:24


  『はまセン(気仙沼市小泉浜災害ボランティアセンター)』代表として支援活動を展開

3月21日、南三陸町に多くの物資と人材が届くようになってきたため、「支援が届き難い避難所を支援しよう」と南三陸町志津川から気仙沼市本吉町小泉地域まで避難所を一軒一軒訪ね歩きました。
その結果、気仙沼市本吉町小泉浜の「浜区避難所」が最も支援を必要とする所の一つであり、他の団体による支援も無かったため、浜区避難所を中心に支援活動(物資支援等)を始めました。


3月下旬、小泉浜に初めてのお風呂が誕生!!
3月下旬、「今一番欲しいものはお風呂」という話を受け、お風呂作りに取り掛かりました。
津波で被災したビニールハウスをお借りし、井戸の水をポンプアップ。
それを高山市の災害用給湯器で温め、普段はサンマなどが入っているタンクへ…。
この1,000リットルのタンク風呂では、大人の男性4人が同時に足を伸ばして入ることも可能。

このお風呂設置には、高山市仏教会青年部と飛騨の個人ボランティアが手伝ってくださいました。
お風呂の名前は、三郎さんの井戸を使用したため「サブロー&飛騨高山の湯」となりました。

  「サブロー&飛騨高山の湯」入口

  「サブロー&飛騨高山の湯」脱衣室

  「サブロー&飛騨高山の湯」浴室

入浴初日、お風呂の中から子ども達がキャッキャと遊ぶ声が聞こえ、私達も嬉しくて涙が出そうに…。
「2週間ぶりに入ったお風呂はまるで天国でした。体と共に心も軽くなったような気がします。」という声もありました。
その夜は、星空が無茶苦茶きれいでした…が、星がきれいに見えるのは「町の灯り」が全く無いため。星の数以上の涙が流されたかと思うと、「まだまだ頑張らなきゃ…」という気持ちにさせられました。
その後、このお風呂で被災された方とボランティアが一緒に入浴し、心を一つにして復興へ向けた活動を行う元に…。
このお風呂は、7月に解体されるまで被災された方とボランティア延べ1万人以上が利用しました。

この後洗濯機も設置したため手で洗わなくても良くなるなど、少しずつ避難所生活が改善されてきました。


  子ども達も笑顔で遊んでくれるようになりました。

しかし、避難所内では「インフルエンザ」「ノロウィルス」で非常に厳しい状態が続きました。
また、後ほどわかった事実として、当時避難所にみえた方で「結核」に罹患していた方も…。


様々な分野のボランティアが…



様々な分野のボランティアを募集したところ、「医療支援」「炊出し」「美容師」「大工」など多くの方が集まってくださいました。

2つ目のお風呂を!!

「作ってもらったお風呂は好評なんですが、井戸の水量がもたなくなりそう。もう1ヶ所、お風呂を作ってもらえませんか?」
との相談がありましたので、高山のボランティアグループに手伝ってもらい、2つ目のお風呂を作ることになりました。
「この場所に作ろう!!」


4月中旬、2つ目のお風呂、「はま泉小南の湯」が完成。
9月に解体されるまで、こちらも被災された方とボランティアで延べ1万人以上が利用したと思われます。

お風呂が2つ完成。
でも、避難所の周りを見ると、1ヶ月間何も変わりませんでした。


「時が止まったまま。時を動かそう!!」

瓦礫の中を歩くと、3時20分~30分くらいを指して止まった時計がいくつも見られ、まるで「震災で時が止まってしまった」とも感じられました。
「この地域はね、いつも最後になる地域なんですよ。」という言葉も…。


「この地域の、止まってしまった時を動かしたい!! 災害ボランティアセンターを立ち上げて、この地域の瓦礫を処理しよう!!」


この小さな避難所で「災害ボランティアセンターと避難所の併設」。
先ずは、全体的な進め方を話し合いました。


避難所で毎日行われていた朝礼で、
「災害ボランティアセンターを、この浜区避難所で立ち上げます。ボランティアに作業をお願いしたい方は、ボランティア依頼票の記入をお願いします。」
と話をしたところ、多くの依頼が…。
ということで、「全軒対応」に切替えました。


看板を設置し、駐車場の整備を進めました。
この時ご協力頂いた皆さんには、「はまセン」の基礎作りで大変なご協力を頂きました。


全軒対応を行うためには、多くのボランティアを呼んで作業を進めなければならないため、インターネットで募集すると同時に、テント村を作り、ボランティアの受入準備を進めました。

避難所責任者の及川さんと地区の振興会長(こちらも及川さん)さんとの3人で話し合いながら準備を進めました。
さあ、受入準備完了!!

関連記事